明治41年作成の資料に かみの とルビを振った資料があり、この時点でカミノ姓か?
・明治41年に三重県に神富農会が設立、設立したのは 神野(かみの)富田殖産会社とあるが
神野富田両家が作った資料なので「かみの」が意味のある言葉となっていたのは間違いない
・神野富田殖産会社は明治38年設立で設立時にじんのかかみのかは資料が見つかっていないので
最初からかみのか途中でじんのからかみのに改称したかのいずれかである
(私は、父金平が明治38年の12月に亡くなっているので、改姓はその後と考えている)
・神富(じんぷ)は、その後も使われているが、かみのとみた殖産会社のルビは他に例を見ない
・明治41年には かみの姓 になっていた可能性が高いが、証拠は見つかっていない
神富殖産㈱からの情報