読みの疑問

▶ 疑問

 ・神富殖産と神富興業の「神富」は「カミトミ」か「カントミ」か


▶ 読みの推理

 ・明治41年の神富農会の資料が「カミノトミタ殖産」であり、「神富」は「カミトミ」と呼ぶのか?

 ・神明社が平成位から「カントミ神明社」と呼ばれているが、神富殖産や神富興業が「カントミ」と呼ばれて

  いたからなのか


▶ 調査で判明した情報

 ・明治28年に関係3村が新田名を「ジンノ新田」と決め、役場に正式登録されて現在に至る

  ・大正2年の書籍の初代神野金之助自身の文章に「ジンノシンデン」と振り仮名がある

  ・神野三郎伝の中に(神野家は最初「ジンノ」だったので新田名が「ジンノ新田」となった)とある

 ・明治28年に神野金之助が神明社を寄進しているが、昭和の時代は「シントミ」神明社と呼ばれていた

  ・「ジントミ」としなかったのは神社名として濁りを入れない配慮だと思われる

  ・平成の頃からか、「カントミ」神明社と呼ばれ、現在税務署への読みの登録は「カントミ」である

 ・神野金之助が寺院(圓龍寺)を寄進しているが、明治30年に本山より山号「神富山」を授かるが読みは

  「しんぷう山」である

  ・山号が個人名と分かるのは都合が悪いのか?、山号らしい読みに配慮されている

 ・明治36年第五回内国勧業博覧会で神野新田を出展して名誉銀牌を賜り、明治37年に記念発行の「神野新

  田紀事」に、改称に付いての記述が無いことより、改姓前と考えられる

  ・「カミノ」に改称後であれば、旧姓の「ジンノ」から「ジンノ新田」になったと断り書きがあるはず

 ・明治38年に「神野富田殖産」が設立され、読みは「ジンノトミタ殖産」と思われるが正式は不明?

 ・明治38年に母、妻、父が亡くなるが、父母思いの初代金之助が存命中や喪中に改称するとは考えられない 

  ・翌39年の喪中には娘(甥の富田重助の最初の妻)が亡くなる

 ・1年後の喪明けの明治40年に「カミノ」に改称したと思われる

  ・明治40年に初代金之助と甥の4代富田重助(2度目の妻も初代金之助の娘)が再婚する

 ・神野富田殖産作成の明治41年に発足した神富農会の資料に「カミノトミタ殖産」との振り仮名がある 

  ・神富農会は「ジンプ農会」と振り仮名がある

 ・明治42年に初代金之助が渡米団に参加しており、その旅行記である「新洋行土産」が明治43年に発行され

  その中に書かれた神野金之助に「カミノ」と振り仮名がある 

  ・渡米団は明治天皇や総理大臣主催の壮行会に招かれており、姓の間違いはあり得ない

 ・大正8年に会社統合し「神富殖産」が設立されるが、読みは不明???

 ・昭和18年に「神富殖産」から「神富興業」に社名変更するが、「神富興業」も読みは不明???