東本願寺財政問題

▶ 概要

 ・神野家に不幸が集中する明治37年から39年は財政再建でも神野金之助は大変な時期であった

 ・明治37年に井上馨が再建から手を引いており、再建は金之助を始めとする東本願寺の相談役と信徒が

  前面に立ってするしかなく、相当きつい立場に追い込まれていたはずである

 ・初代金之助が貴族院議員になったのは財政再建を有利に進めるためではなかったかと推察する

 ・明治39年は父金平の喪にも服しており、改称の動きは無かったと推察する

 ・年月日とエピソードの色違いは引用した書籍別のソース違いです

 ・事務総長は、渥美契縁が緑、石川舜台か赤、その他は前記以外、空白は情報が乏しく分からない

 ・ここをクリックすると「東本願寺の年表」にリンクする

 ・明治39年に初代金之助が中心となり金貸しを説き伏せ、門徒の寄付金などで借金を完済しており、改称を

  している状況に無かったはずである

 ・明治40年は大木豊子との再婚もあり、心機一転の年として改姓をしたと考える

 ・ここをクリックで、財政再建の詳細にリンクする(下表は財政再建の年表)


▶ 年表